頑張り屋さん、面倒くさがり屋さんは受け取りベタなのかも
頑張り屋さんや
面倒くさがり屋さんは
もしかしたら
受け取るの苦手かもしれないですね。
いやーー、そんなに頑張れないです。
いやーー、そんな面倒ならもう結構です。
みたいな。
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何かを受け取るときには
それに付随した作業だったり
引き換えにすることだったり
そういうことが発生することもある。
「A」を受け取るには
「A+」と「A-」の両方
まるごと受け入れる必要があるという感じ。
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喜びや楽しみを受け取るためには
「何かをがんばらないといけない」とか
「面倒なことを我慢しないといけない」とか
そういうことではない。
でも、以前の私はそう思ってました。
そして、がんばっていた。
もしくは
がんばりたくない
面倒なことはしたくない
だから
そういうのいらない。って
受け取り全拒否。
極端すぎる。
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喜びや楽しみを受け取るためには
「何かをがんばらないといけない」とか
「面倒なことを我慢しないといけない」とか
そうじゃなくて
そういうのも「当たり前にあること」として
ただ淡々と、すんなりやっていく。
頑張るでもなく、我慢するでもなく
「あ、それも込みなのね、OK」って感じで。
何も難しく考えずに
ひとつひとつやってみれば
意外と何でもないことだったりする。
そしたらマイナスのことも
マイナスじゃなくなっちゃう。
その方がいいよね。
「修業」は「苦行」じゃないから
このところ、続けて話題になった「修業」のハナシ。
修業は苦行じゃないからね。
修業は「習い修める」こと。
続けること、積み重ねること。
わざわざ苦行にする必要はないの。
だから
楽しんでいいし
楽していいし。
**
かくいう私も
なんでも苦行にするタイプだったけど。
前提がもう、修行=苦行になってたから
何をするにも「苦しむことありき」で考えるし
それじゃあ何もやりたくなくなるし。
また辛い思いをしなくちゃいけないの?
また苦しまなくちゃいけないの?
どうして私ばっかり!?って。
誰も私に「苦しめ」なんて言ってないのに。
誰も私に「辛い思いをしろ」なんて言ってないのに。
自作自演で、いつも悲劇のヒロイン演じてたのね。
今考えるのは
いかに楽に続けるか?
いかに楽しむか?
そればっかり(笑)
でもそれでいいんだよね。
それでいいんだよ。
「引き寄せ」は「引き寄せあう」だよ。
「引き寄せの法則」って初めて聞いたときは
ものすごく魅力的だと思ったの。
これすごい!と思って
そのころ流行った引き寄せの法則の
アファーメーションも毎日ブツブツと必死に唱えてた。
でも
さっぱりだった(笑)
なぜなら
その頃は「持っていないもの」を
「もらおう」としてたからだと思う。
いわゆるクレクレ星人ってやつ。
欲しい、欲しい、ちょうだい、ちょうだい、、
そこ頃は「引き寄せの法則」に夢見てたのよね。
欲しいものがやってくる魔法みたいに。
その頃は分からなかったから。
「引き寄せ」は「類は友を呼ぶ」だってこと。
「引き寄せ」は「引き寄せあう」ものだってこと。
「引き寄せの法則」って
持ってないものが、欲しいものが
ポン!と与えられるものではない。
類は友を呼ぶで、引き寄せあうものだから
まずは持ってないもの、欲しいものと同等か
もしくは近しい状態になってることが大事なの。
幸せになりたかったら
まずは今置かれてる状況の中で
小さくてもいい、幸せをたくさん見つけて
「あ~♡幸せ~♡」を増やしていくこと。
そうしていくと
「幸せ波動」がにじみ出てきて
自分の外にある「幸せ波動」と共鳴し合って
引き寄せあって、さらに幸せになる。
もし「幸せ」の「し」の字も知らないとなると
いくら「幸せを引き寄せたい」と思ったところで
共鳴のしようがないもんね。
引き寄せあえないよね。
引き寄せの法則、って言っても
そんなしくみ。
「引き寄せ」は「引き寄せあう」だよ。
ものすごく素晴らしいことの裏で、願いが叶ってることもあるよ
続・願いの叶い方。
自分の想像できる範囲って案外狭いんだよね。
自分の経験値に基づいてるから。
前回は
「嫌な叶い方」してることだってある。
嫌なことが起きたことで
「実は願いが叶ってた」ってことがあると書いたけど
それとは違って
自分の想像をはるかに超えた
ものすごく素晴らしいことが起こって
それで実は願いが叶ってた!
なんてこともある。
その場合も「ものすごく素晴らしいこと」に
意識が持って行かれるから
「願いが叶ってた」ってことを
スルーしてしまうかもしれない。
自分の想像をはるかに超えた
ものすごく素晴らしいことと
自分の願いごとの結果とを
結びつけられないかもしれない。
*
叶えたい願いがあって
それが叶ったのなら
「叶った!」って実感して
「やった!」って喜ぶこと。
これが大事なのね。
どんなに小さなことだったとしても
それを繰り返すことで
自分の中に「願いは叶う」って定着していくから。
嫌なことが起こったり
ものすごく素晴らしいことが起こったりすると
どうしてもそこにばかり意識が行きがちだけど
その裏で、起きてる小さなことも
しっかり見ておくといいよ。
というか、見逃したらもったいないからね。
振り返ってみると
「あ、叶ってたわ・・」
なんてこと、案外たくさんあるかもよ。
願いは叶うんだよ。叶い方はいろいろだけど。
願いはちゃんと叶うんだよ。
ただ
自分が想像してたのとは違う叶い方だったりするけど。
想像してたのと違う叶い方だと
願いが叶ってるって気づかないかもしれない。
なんとなく
バーン!と華々しく喜ばしい叶い方を
夢見てしまうものだけど
意外と地味に叶ってることも多い。
そこを見逃さないようにしないとね。
それに
実は「嫌な叶い方」してることだってある。
嫌なことが起きたことで
実は願いが叶ってたってことね。
そうするとその「嫌な方」ばかりに意識が向いて
「叶った」ことを無視してしまうの。
無視してると当然「叶った」実感がないから
「願いは叶わない」って思うかもしれない。
「嫌なことばっかりおこる」って思うかもしれない。
だから
願いは叶う。
叶い方は自分の想像を超える。
って思っておくといいよ。
納得するまで繰り返しやってみる。常識とか、順序とか、そんなのも関係なく。
私たちはいつから成果や成功を急ぐようになったんだろう。
ふと我に返ってみれば
「すぐに!」「急いで!」って感じになってる。
もともと、そんなんじゃないはずなのに。
**
人間ってほとんど
自分では何もできない状態で生まれてくる。
そんな状態から
ひとつひとつ、時間をかけて習得してきた。
私たちってそんな生き物。
寝返りひとつ打てないし
立つことも間々ならない。
食べることすら練習。
自分で服を着ることもできない。
そんなことを全部、トライ&エラーの繰り返しで
時間をかけて身に付けてきた。
何度も何度も失敗して
でも失敗したって全然へっちゃらで
ぐちゃぐちゃになったってお構いなしで
それでも
できるまで何度でもチャレンジする。
常識とか、順序とか、そんなのも関係なく。
**
そんなプロセスをいくつも経験して来てるのに
いつの間にか
失敗するのが怖くなって
最短で成果や成功を得たいと思うようになったり
失敗するならやめておこうかと思ったり
やってみることもしないで「できない」って決めつけてみたり。
いつからそんな風になってしまっていた。
**
それはきっと
自分を取り巻く環境が影響してる。
ということは
その環境を取り除いて
自分自身だけに立ち返ってみればいい。
本質的には変わっていないはずだから。
納得するまで何度でもトライする。
何度エラーしても。
すぐに結果を出そうとせずに
成果や成功を急いで手にしようとせずに。
急がない、焦らない。
いろいろと、ゆっくり進めれば大丈夫。
嫌いな人何人いる?
嫌いな人、何人いる?
たくさんいる?
嫌いな人がいたっていいんだよ。
ただ
嫌いな人の数が多い人は
心の傷も多いんだよ。
あの人嫌い!
なんなの、あの人!
って言うたびに
心の奥で泣いてる自分がいるとしたら?
***
嫌いな人を好きにならなくていい。
でも
嫌いな人がたくさんいるままにしておくと
辛いのは自分なんだよね。
だから
好きでも嫌いでもなく
「どうでもいい人」
にしちゃえばいいんだよ。
言い換えればそれは
「気にならない人」
嫌いだったあの人のことが
気にならなくなったとき
きっと心の傷も気にならなくなってると思うよ。