特別な理由なんていらないんだ。ただ気持ちいから、ただ好きだから、でいいんだ。
実家のすぐ裏手には「市民プール」があって
そこの「流水プール」が大好きだった。
市民プールの外周をぐるりと周るプール。
泳がなくても体がスィ~っと流れていく。
許されるなら開園の10時から閉園の17時まで
ただただ流水プールに浮かんで流されていたい。
そんな小学生だった。
1時間に1回、10分間の休憩時間が設けてあって
強制的に全員プールから上げられる。
その10分が終わるのが待ち遠しかった。
夏休みは毎日プールに行きたくて仕方なかった。
「母が厳しく、私は自分の思い通りには生きられなかった」
なんて思いこんでいたけれど
私は「今日もプール行っていい?」と
果敢に訴えていた。
嫌な顔をされてても
昨日も行ったじゃないの!と言われても
宿題もまだやってないのに!と叱られても!
なぜそんなに行きたかったのか?
なぜそんなに流水プールで流されていたかったのか?
それは
ただ単に
それが気持ちよかったから。
流れる水の中でぷかぷかと浮いて流される。
それがものすごく気持ちよかったんだと思う。
私の快楽だったんだ。
私は快楽を味わって、それを覚えて
もっと、もっと、もっと気持ちよくなりたい!
って思ったんだ。
***
なぜそんなに行きたかったのか?
なぜそんなに流水プールで流されていたかったのか?
一時は、その理由を真剣に考えたこともあった。
なぜ?なぜ?何のために?
私はそれで何を得ようとしていたのか?
それにどんな意味があるのか?って。
そんなの
気持ちいいから!でいいじゃない。
だって気持ちいいんだもん!でいいのにね。
でも、それじゃダメだと
自分でジャッジしていた。
何かをするには正当な理由が必要だと思ってたから。
何か特別な心理状態にこじつけないと
気持ちいいことをするなんて許されないと思ってたからなんだ。
一見、無意味なことをするためには
「なんでそんなことするの!?」と責められり
「あんなことしてる」と奇異の目で見られたときに
「これこれこういう理由があってしているのです!!」と
正当化していたかった。いつでも。
いつでも、誰かに何か言われる前提でいて
それに対する言い訳や理屈を探していた。
自分の頭の中だけで。
いろんなシチュエーションを妄想しては
対策を練っていた。
自分の正当性を主張するために。
他人に受け入れてもらうために。
単純であってはならない。
そんなの許されない。
そんなの受け入れてもらえない。
***
私は複雑化の名手になった。
どんなことでもまず複雑化した。
土をこねくり回して
糸をからませて
ぐるぐるぐるぐるかき混ぜて。
そうやって一番最初に生まれる
「気持ちいい!」
「楽しい!」
「好き!」に
蓋をして見えなくしてしまった。
それが生まれたら、すぐに一瞬で
蓋をしてしまえる名人になった。
***
でも、そんなのいらない。
特別な理由なんてなくていい。
許されようとか
受け入れられようとか考えなくていい。
素直に感じて、味わって、表現すればいいだけ。
ただそれだけ。