変えられるものを変える勇気を
神よ、
私に変えることのできないものは、
それを素直に受け容れるような心の平和を!
変えることのできるものは、
それを変える勇気を!
そして変えられるものと変えられないものとを、
見分ける知恵を!
この私にお与えください。
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★女子パウロ会「Laudate | 祈りのひととき」より
過去は変えられるから
過去は変えられる。
人が「過去」と言うとき、それはその人の認識している「過去」だから。
「過去の出来事」+「認識」=「私の過去」になる。
過去の出来事自体は変えられない。
でも、「私」に影響を与えているのは「認識」の方だから
実際に何があったのかはそれほど問題ではなくて
それをどう認識しているのかが重要。
同じ一つの出来事でも、人によって感じ方は全く違う。
受け止め方は全く違う。
10人が同じ一つの出来事を体験したとしても
10通りの認識があって
十人十色の「私の過去」が出来上がる。
認識を変えればいい。
その過去の出来事に対する意味づけを変えればいいの。
過去は変えられる。
だから「昔〇〇だったから・・・」にとらわれる必要はないよ。
「昔〇〇だったから」はあなたを縛りつけることはできないのよ。
快楽だけを味わっていい
快楽や喜びを味わうためには
苦痛も味わわなければならないと言ったのは誰か?
何のために?
誰のために?
集団の中でお前だけに快楽を許すことはできないと
誰がそう言うのか?
快楽を味わうためには
苦痛を差し出さなければならない。
快楽だけを味わうのは罪である。
だがそれと同等かそれ以上の苦痛も伴うのであれば許される。
誰が、何のために言ったのか決めたのかもわからない
この法則に従う必要があるのか?
快楽だけを味わっていい。
喜びだけを味わっていい。
そこに苦痛を伴わせ
誰かの了承を得る必要はない。